アニーのひとりごと
この記事は「アニーのひとりごと」カテゴリーの記事
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2017/09/07
40歳までにハワイに移住することを目指している
『アニー』こと倉持俊介です。
タイムリミットまではあと990日。。
最近、自分が住んでいる川越という田舎街でも、
外国人を見る機会が増えています。
川越には小江戸川越という城下町が残っているので、
観光客として最近は外国の方が増えています。
実際に日々通る観光地には、
毎日のようにツアーのバスが訪れています。
ずっと川越で暮らす自分にとって、
川越という街に来てもらえるのは嬉しい限りです。
2020年にはオリンピックが開催され、
川越の笠幡という場所では、
ゴルフの競技が行われることが決まっています。
自分が子供の頃(30年ほど前)には、
ほとんど外国の方を見かけることはありませんでした。
ビザの発行が厳しいということもあったのかもしれませんが、
いたとしてもフィリピン系の方がほとんどでした。
学年に1人くらいはフィリピン人のハーフの友達がいませんでしたか。
フィリピンと日本では特別な交友関係でもあったのだと思います。
しかし現在、
自分の子供たちが通う保育園では、
多くのハーフの子供たちが一緒に生活しています。
お父さんが白人の方だったり、
お母さんが中国人だったり、
国際色豊かです。
自分たちが子供の頃から抱えている
外国人
という感覚は、
今の子供たちには当てはまらないかもしれませんね。
日本人は仲間意識が強いと言います。
黄色人種と言われる日本人の肌の色は小麦色。
白人や黒人の人を見ると、
『うわ、自分とは違う人だ、、、』
と思ってしまう人も多いと思います。
自分も子供頃はそうでした。
高校生の頃、外国の方に道を聞かれました。
英語で
『where is 〇〇?』
と。
自分は子供の頃から英語に興味があり、
小学校の頃から英語の教室にだけは通っていました。
常に英語だけは成績も良く、大好きな科目でした。
それなのに全く答えることが出来ませんでした。
簡単に答えられるはずなのに、
外国人に話しかけられた
というプレッシャーに全てが吹っ飛んでしまったのです。
外国の方への抵抗力が全く無かったのだと思います。
ちなみに、上記のことがきっかけとなり
将来は英語が喋れるように
と大学卒業と同時に海外へと留学したのでした。w
上記でもお話ししましたが、
最近は川越という街でも多くの外国の方を見る機会があります。
飲食店などで若い外国の従業員の人を見ると
自分が海外で働いていた時のこと
を思い出します。
皆が優しく、
自分のつたない英語を
必死に理解しようとしてくれていました。
テレビなどでは、日本で働く外国の方に
『自分の国に帰れ』
という酷いことを言う人もいる
という事実を知ったこともありました。
人類みな兄弟
という言葉がありますが、
国境という壁を乗り越え、
全ての人が仲良く暮らせる社会になると
良いなと感じている今日この頃です。
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。