~100年後の未来に繋がるわくわくを~

Post Title

ブログ筆者「アニー」こと倉持俊介について

インセプションホールディングス株式会社という会社の代表をしている『アニー@inception_annie』こと倉持俊介です。

初めて「倉持俊介.com」を閲覧して頂く方のために自己紹介をします。

”40歳までに海外移住する”を目標に活動しています

profile-1

”40歳までに海外に移住する”という大きな目標を自分自身に掲げ、20代前半の頃から常に考え、行動してきました。

目標の40歳を迎えるまであと数年となった今、リアルに海外移住を意識し始めています。

そんな自分が意識していることや、感じていること等を伝えられたらと思い、この「倉持俊介.com」というブログを開設しました。ブログを通して、少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。

ハンドルネーム『アニー』の由来

ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味からきています。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。

これまでの『アニー』

英語に興味があった幼少時代

自分が海外を意識し始めたのは小学校の頃でした。『英語ってカッコいい』最初はそんな単純な理由だったと思います。

基本勉強は嫌いだった自分は当然、塾などに興味がない子どもでした。

しかし、何故か英語だけはどうしてもと親に頼みこみ、小学校の低学年から中学を卒業するまで英会話の教室に通わせてもらいました。

興味がある英語の成績は必然的に良く、高校に入学後も英語を嫌いになることはありませんでした。

勉強とは程遠い学生時代

高校は進学校へと進みました。その理由は単純に混雑が嫌で下りの電車に乗りたかったからです。ww

しかし、せっかく進学校に行ったのにもかかわらず、毎日バイトや遊びを楽しむ学生生活を送っていました。

受験のシーズン、周りの友達がみんな大学に行くという理由からとりあえず大学を受験し、なんとか3流の大学に合格することはできました。

その後も勉強には全く興味が湧かず、大学生活もバイトと遊びがメインとなっていました。

3年生になって周りが就職活動を始めた頃、初めて『俺は何がしたいのかな?』と真剣に自分の進路について考えるようになりました。その時に真っ先に浮かんだのが『やっぱり英語が話したい!』という選択肢で、海外留学を目指しました。

人生を変えたオーストラリアへの留学

profile-2

「大学卒業後は海外へ留学をしよう」そう決めた後、どの国に行くのか悩みました。

メインの目的が”英語”だったので選択肢は、イギリス・カナダ・アメリカ・ニュージーランド・オーストラリアの5カ国でした。アジアは選択肢に入っていませんでした。

当時、フィリピンやマレーシア等のアジア圏への語学留学は主流ではありませんでした。

そして選んだ国は、この5つの中で一番暖かい国”オーストラリア”でした。

留学先にオーストラリアを選んだ理由

自分は学生時代から洋楽が大好きだったので、本当はアメリカに行きたかったのですが…”テロ後で入国が厳しかった”のと、”お金があまり無い”という2つの理由からオーストラリアを選びました。

英語の勉強は得意でしたが、喋ることは全く出来なかったので、とりあえず現地の語学学校に2ヶ月通いました。その後は、ツアーガイドとして働きながら海外生活を満喫しました!

日本人とオーストラリア人の考え方の違いに驚く!

ツアーガイドとして働いている時、たくさんのオーストラリア人も一緒に働いていました。

最初は彼らの仕事に対する考え方の違いに戸惑いましたが、徐々にその魅力に引き込まれていきました。

その魅力とは『プライベートをとにかく大切にする』という考え方です。

彼らはどんなに忙しくても、定時できちっと上がります。「家族が待っているから」と仕事が残っていても、さっさと帰っていきました。

正直最初は「何だこいつ」と思っていましたが、徐々にそういった考え方もあるんだと思うようになってきました。

それまでバイトしかしたことなかった自分でしたが、彼らよりもっと仕事に縛られていたように感じました。

彼らにとって”仕事はあくまでも2の次”。自分が日本にいた時には、感じたことがなかった新鮮な考え方を持っていました。

そうして日本に帰る頃には「自分もこうなろう」と、考え方が大きく変わっていったのでした。

老後は海外に住む!その為に何をすべきか?

それからもう一つオーストラリアで感じた日本との大きな違いがありました。

それは”老後に対する考え方の違い”でした。

日本とオーストラリアの老後に対する考え方の違い

当時、オーストラリアの定年退職は50歳くらい(現地の方から聞いていました)でした。

「50歳まで一生懸命に働いて、退職後は思う存分遊ぶんだ」とみんな口を揃えて言っていたのを今でも覚えています。

日本では、定年後も働くことが当たり前になり始めていた頃だったので、とにかくその考え方に驚かされました。そしてすぐに「自分もこうなりたい」と思うようになっていったのでした。

オーストラリアの老夫婦のように歳を取っても、仲良く手を繋いで歩けるような人になりたいと本気で思い始めていました。

帰国後は、そのために自分が「今、何をすべきか?」を考えるだけでした。

自分が出した答えは『人よりも早く稼ぐ』という単純明解な答えでした。そして【40歳までにはリタイアして海外に住む!】と大きな目標を自分に掲げました!

なんのコネも知識のなかった自分は、この頃から【独立出来る】という言葉を求め、色々なことにトライし始めます。

まつ毛エクステとの出会い

留学からの帰国後、自分が24歳の時から本格的に独立を目指し『自分には何が出来るのか?』ということを、常に探し求めていました。

収入に関係なく、チャンスがありそうなことにはなんでも手を出して、がむしゃらに頑張っていました!

そんな時に出会ったのが【まつ毛エクステ】という新しい美容法でした。

profile-3-2

出会った当時は、都内で徐々に流行り始めていた程度だったのですが『これは絶対に流行る!』と直感的に感じました。そしてとにかくすぐに、嫁に都内まで修行に出てもらうことにしました。

もちろん簡単な技術ではありませんでした。が、これが嫁とも相性が良かったようでみるみる技術も知識も上達しました。数年後には、独立出来るまでの技術を手に入れていました。

そして、お店を出すなら勝手が良く分かっている地元が良いだろうと【川越】という地域にお店を出すことにしたのでした。

「インセプション」という会社はこうやって生まれました

嫁が都内でまつ毛エクステの修業している時、自分は他のことにもチャレンジしながら、経営者になるための準備を着々と進めました。

まつ毛エクステに関して”ど素人”だった自分は、都内の有名店の情報などを探りながら、商材やメニュー、価格設定など川越に適したものへと変化させました。

当然最初はお金などなかったので、当時住んでいた部屋を改装してお店へと生まれ変わらせました。

そして2009年8月、ついに川越に【Beauty Freak】というまつ毛エクステのお店をスタートさせることが出来たのです!

profile-4

幸い、まだ川越にまつ毛エクステが流行し始める前だったので、売上は右肩上がりで伸びていき、念願だった株式会社【INCEPTION】を2010年の12月に誕生させることが出来ました!

ずっと憧れていた社長になれた瞬間

思っていたよりもあっけなく”社長”に就任することになりました。

正直、もっと感動したり興奮したりするかと思っていましたが、行政書士の先生に書類を渡しただけだったからか、なんの実感もわきませんでした。。

あれだけ長年望み続け、やっとの思いで手に入れたあの”社長”という肩書き。。それは単なる言葉でしかありませんでした。

そしてその時、まだやっとスタートラインに立ったばかりだということに気が付いたのでした。

【40歳までには海外に住む!】という目標を達成するにはまだまだこれからやることがたくさんある。だからまだ喜んでいられる時では無いんだということが、この時はっきりとしました。

今までとは違ったお金の使い方

この頃から、それまでのただ【がむしゃらに突き進む】というスタイルを【常に将来を意識する】という方向性に、意識の変化をさせていきました。

「今の行動が未来に繋がっているのか」を常に意識し、今までとは違うことにも積極的にチャレンジするようにしました。

特に意識したのは【お金に対する考え方】です。

お金を自分以外のために使うということ、つまり投資することを強く意識しました。

まず投資することにしたのが”人”です。

profile-5

それが今の仲間たちです!正直、初めは人を雇うということはプレッシャーでしかありませんでした。

『本当にこの人の人生を背負うことが出来るのか?』『本当に食べさせていけるのか?』と。。

もちろん最初から全てが順調というわけにはいきませんでした。しかし、自分が彼らを信じることで、彼らも自分を信じてくれる。おかげで今までの何倍もの力を発揮出来るようになりました!

本当に仲間には感謝しかありません。

目標の先にある自分を意識して

”40歳までに海外に移住する”。

30代の今、40歳まであと数年になりました。本格的に海外への移住を意識し始めるようになりました。

あれほど遠いと感じていた”40歳までに海外に移住する”という目標も、もう夢では無くなろうとしています。

これからは、この目標の先にある”本当になりたい自分”を築いていく時なのかもしれません。

歳を取っても格好良く、大好きな人たちに囲まれて、そして毎日楽しく過ごしていきたいと思っております。

要するに、ただ海外に住めれば良いということではなく、どういう状況で移住できるかが重要で、これからの最大の課題だと思っています。

最高な状態で移住ができるように、今できることを一つずつしっかりと作り上げていきたいと思っています。

 Annie ― 倉持 俊介

Annie(アニー)から記事を読んでくれたアナタに

アニーのLINE@に登録して、いつでもどこでも何でも即相談できるように!

annie_line_banner

アニーはLINE@も行なっております。

聞きにくいことや、相談したいこと、

なんでも気軽に聞いてください^ ^

最初の頃にご登録頂いた方には、永久無料で対応致します^ ^

お気軽にご登録お願い致しますm(_ _)m

友だち追加

▲最上部へ