アニーのひとりごと
この記事は「アニーのひとりごと」カテゴリーの記事
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2016/03/15
パースの田舎街についてからは、めまぐるしい生活の始まりでした。
なんとかなると思い、何も計画もせずにきた海外
住むところも決まっていない
頼りになる人もいない
何から始めればいいのかすら分からない
不安だらけのまま、ただただひたすら街を歩き続きました。
しばらくすると日本のエージェントを発見しました!!
日本語で
学校選びなど何でもサポートします!!
的な文字。
正直、めちゃくちゃ入ろうか迷いましたが何とかとどまり、その看板を見て1つのやるべきことを見つけました。
そうだ、学校に行こう!!
予算もあまりありませんでしたが、とにかく今の状況から脱するには英語が話せないと思い、英語が話せる最短の道は学校だと考えたのでした。
それから学校の斡旋をしている現地(オーストラリア)のエージェントを発見し、そこで学校を紹介してもらい、シェアハウス(外国人と共同で住む家)もその場で決め、パースに着いて3日後から学校へと通い始めました。
たまたま、10月の入学シーズンだったという事もあり、同じ時期に色々な国の学生がその語学学校に通ってきていました。
韓国、香港、台湾、ブラジルにタイ、インドネシアなど色々な国の人達がいました。
みんな英語を学びたてで、レベルも変わらず異国の地ということもあり、すぐにたくさんの友達が出来ました。
自分の思っていることを伝えたくて、学校ではもちろん家でも毎日たくさん勉強しました。
予算の関係で学校に通う事が許された期間が2ヶ月でしたが、ある程度の会話も出来るようになり、この旅の1つの目的でもあった‘アルバイト’を始めることを決意したのでした。
どうせ働くならと、昔から海が大好きだった自分は、海で働きたいと思うようになり東海岸の
ゴールドコースト
へと移動しました。
また1人からのスタートの始まりでしたが、今回は英語という多少の自信もありましたので、無事に家も仕事もすぐに決めることが出来ました。
それから半年間は毎日海の上で、日本人を含む世界中の観光客を相手に
ツアーガイド(ヤムヤムカニツアーという船でたくさんのイベントをするツアーのガイド)
というアルバイトをしていました。
今考えてもとても刺激があり、楽しい毎日だったのを覚えています。
おそらくその時の経験が今の自分の考え方の根本にあるのかもしれません。
楽しく生きる!!
当たり前の様で、とても難しいことではないでしょうか?
一緒に働いていた現地のオーストラリア人(通称オージー)は仕事も遊びもいつも楽しんでやっていました。
子供の頃の様に毎日楽しくて仕方ないというような生活を、当時23歳の自分はすでに忘れてしまっていました。
それどころか大人になったら楽しさのない生活もしょうがないものだとさえ思っていました。
でもそれは違ったのでした。
当時の自分は衝撃を受け、その後の人生においてもこの時の気持ちは根本から受け継がれています。
私は1年間の海外生活で、完全に海外の虜になってしまいました。
将来は絶対に海外に住むぞ!!
しかも早いうちに海外移住だ!!
と、帰国後の目標もでき、人生で最も成長できた1年間を終えるのでした。
つづく 自己紹介パート5へ
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。