アニーのひとりごと
この記事は「アニーのひとりごと」カテゴリーの記事
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2016/03/14
留学を決めてから前にもまして、アルバイトを頑張りました。
ワーキングホリデーというビザを取得して1年間オーストラリアに行こうと決めていたので、後は資金繰りをどうするかだけでした。
目標と決めたのは100万円。
毎月他の学生よりはアルバイトで稼いでいたと思いますが、全くと言っていいほど貯金はしていませんでした。
母親からはよく、
『ちゃんと貯金しておきなさいよ!!』
と言われていたけど、当時はやりたいことがたくさんあったので、稼いだお金を全部キレイに使ってしまってました。
今では考えられない位当時の自分はお金の管理が苦手だったのです・・・
大学卒業後も遊びと仕事を両立しながら、なんとか頑張り100万円貯まったので、全く計画も立てずに
『100万円溜まったし、よし行こう!!』
と意気揚々と2002年の10月、念願の留学へと旅立ちました。
しかしここからが本当に苦労する日々の始まりだったのでした。。
オーストラリアへ向かう飛行機の中、人生で初めて不安で体が震えました。。
当時の自分は現地のエージェント(留学をサポートしてくれる会社)にお願いして留学するのは、反則だと考えていました。
もちろんエージェントにお願いするのにはとてつもなく高いお金が必要だったというのも理由の1つですが、なんとなくサポートを受けて留学しても結局そこに頼ってしまい英語が身につかないだろうと思い込んでいたのでした。
今の自分なら絶対にエージェントを利用することをオススメしますが、当時の自分にはそれなりに自分でやり遂げるというプライドみたいなものがあったのでしょうか。
全く意味のないプライドですね。。ワラ
無計画の自分は、飛行機の中で今後のプランを考えようと思い、唯一の頼みの綱である‘地球の歩き方’を開きましたが、なんと目的地のパースの情報はほとんど載っていなかったのです。。
『まじか・・・』
地球の歩き方(簡単なガイドブック)自体はとてもボリュームのある情報誌なので、これさえあればなんとでもなると予習さえもしていなかった自分。
『これからどうすればいいんだ・・・』
今さら後悔しても遅いのは分かっていましたが、自分のおろかさに心底不安になりました。
1人で行く初めての海外。
しかも1年間。
何の情報もない。。。
このプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、一睡も出来ずパースの地に降り立ちました。
とにかく情報をGETしないと!!
と大きい荷物を抱えながら空港内を歩き回りましたが、田舎町の空港はとても小さく情報も少なく、着いたのが早朝という事もあり、人もほとんどいませんでした。
疲れ切っていた自分は、ロビーの椅子に座り、ただただボーっとしていたのを良く覚えています。
どの位ボーっとしていたかは忘れましたが、1人の日本人の方が話しかけてくれたのでした。
救世主:日本人の方ですか??
自分:はい、そうですけど。。
救世主:パースは初めてですか?
自分:そうなんです。これからどこに行ったら良いのか分からなくて・・
救世主:パースは空港から30分位のところに街があるので、そこまでタクシーで一緒に行きますか?
と、とてつもないマイナスオーラに包まれた自分を心配してか、助け船を出してくれた救世主がいたのでした。
この救世主がいなければ、たぶんそのまま日本に帰っていたと思います。。ワラ
つづく 自己紹介パート4ヘ
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。