アニーのひとりごと
この記事は「アニーのひとりごと」カテゴリーの記事
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2016/03/10
やはり最初は自己紹介からでしょうか?ワラ
改めて自己紹介というと何から話したら良いのか分からないけど、せっかくなので自分でも振り返ってみたいと思います~(^v^)
埼玉県のとある田舎にある私立高校の卒業を控え、進学校という周りの流れにのり、当時とても行きたかった大学に受験を受験しました。
結果は・・・
不合格
高校は推薦で入ったので、18歳で初めての挫折を味わいました。
勉強は周りに比べそこまでしていたとは言い切れませんが、自信だけはあったので、落ちるという想像をしていませんでした。
正直、かなり落ち込んだのを覚えています。。
とりあえず浪人をするほど気合も入ってなかったので、一番仲が良かった友達の進路先であった大学の2次募集で、なんとか合格することが出来ました。
それから典型的な大学生活がスタートしたのでした。
学校に行き、夜まで遊び、バイトもする。
根は真面目なので、大学へはしっかりと通い、単位はしっかりと取っていました。ワラ
そんな中、大学も3年生になると、ちょうど就職氷河期と言われる時代だったので、我先にと周りは就職活動を始めました。
当然両親も自分が就職活動をすると思っていたとは思いますが、私は当時から組織という団体の中で一生を終えるという考え方は無く、
『俺の居場所はここじゃない』
と、せっかく大学まで入れてくれた両親には申し訳ないのですが、ただただ生意気なことを言って就活を一切しませんでした・・
当時はまだビジョンなんてものは何もなく、ただ単にみんなと同じ行動をすることが嫌だったのかもしれません・・
今思えば本当に生意気ですよね・・
大学まで行かせてもらって、就職はしないという息子。
自分の子供がこんなこと言ったら、自分なら間違いなくぶっ飛ばしていたと思います。ワラ
本当に両親には頭が上がりません・・
しかも周りが就職で忙しくする中、なんと私はスノーボードにハマってしまい、雪山に家を借りて毎日スノーボードをしていました(^_^.)
その時に背骨を骨折し、またまた迷惑を掛けるという始末・・・
本当にどうしようもありませんでしたね。ワラ
さすがに4年生になり卒業後の進路にあせりだし、将来の自分探しをし始めました。
やりたいことは何なのか?
自分には何が出来るのか?
正直考えれば考えるほど答えは見つかりませんでした。
ただ、1つだけ決めていたことはありました。
『雇われる側ではなく、雇う側になろう』
それは自分が大学時代の多くの時間を費やしてきた、アルバイトの経験からでした。
生意気であったのは間違いないのですが、周りの大人の人達を見ていて、正直このようになりたくないと感じていたのです。
毎日上司の愚痴や仕事の愚痴ばかり。
仕事に対する情熱はなく(間違っていたらごめんなさい)、給料も安い。
正直、大人になるメリットを1つも感じることが出来ませんでした。
こんな大人になるのは絶対に嫌だ!!
※当時の上司の方々、生意気なことを言って本当にすみません。今考えればみなさん本当に頑張っていられたと思います。しかし当時は正直そうは感じることが出来なかったのです・・
ただそう感じていました・・・
つづく
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。