アニーのひとりごと
この記事は「アニーのひとりごと」カテゴリーの記事
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2016/03/11
大学卒業を前にやっと自分の進路を導き出すことが出来ました!!
それは、、
留学しよう!!
でした。
子供の頃から英語にはとても興味がありました。
なぜか分からないのですが、どうしても英語を話せるようになりたいと子供ながらに感じ、両親に英会話の教室に通わせてくれと言いはり、中学校を卒業するまで9年間通い続けました。
高校生の頃、たまたまアルバイトしていたガソリンスタンドに、道に迷った外国の方がいらっしゃいました。
○○に行きたいんだけど??
小さい頃から英語を習っていたので、成績はいつも5段階評価で5をもらっていました。
その位英語には自信があると思っていました。
しかし・・・
正直何も答えられませんでした。。
かろうじて行きたい場所は日本語だったので理解は出来ました。
ただ、行き先を伝えることは全く出来なかったのです・・
あの時の屈辱というか情けないというかあの感情は今でも忘れたことはありません。
あんだけ勉強してきたのに。。
と、ショックを受けたのと同時に、どうしても英語が話せるようになりたいと感じた瞬間でもありました。
また20歳の頃にも同じようなことがありました。
初めて海外に行く機会があり、ハワイという地に初めて降り立ちました。
昔から遠いようで近くに感じていた海外。
しかも英語圏のハワイ。
とても興奮していたのを今でも覚えています。
その旅行中でも事件は起きたのでした・・・
ホテルでオートロックの扉(当時初めてのオートロックの体験)を鍵を持たずに部屋を出て、弟と2人放り出されてしまったのでした。
もちろんホテルの人に助けてもらうしか方法はありません。
当時大学2年生の自分は、弟に負けずとホテルマンに話しかけました。
『Don’t open the door!!』
『Don’t open the door!!』
『は???』
ホテルマンは首をかしげているではないですか。
なんで??なんで??
と疑問に思いながらも、何度も同じ言葉を繰り返したのですが、ホテルマンは理解するどころか訳が分からない様子でずっと立ちすくんでいました。
そこにたまたま部屋から出てきた母親が一言。
あんた、それじゃ
『ドアを開けるな!!』
って言ってるんだよ!!
『え~~?????』
やばい。やっちまった。。
恥ずかしすぎてその後の記憶はあいまいで、どうやって鍵を開けてもらったのかは覚えていませんが、どうにか入れたのだと思います。
もともと記憶能力に乏しい自分が、初の海外旅行ではっきりと覚えている記憶はこの、
『Don’t open the door!!』
という、恥ずかしい記憶だけなのです。。。。
そのようなことがあったからなのか、大学後の進路を考えている中で留学という言葉が自分の中に思い浮かんだ時点で、答えは決まっていました。
英語を話せるようになりたい!!
単純なのか何なのか、思い立ったら後はどこに行くかを決めるだけでした。
私が選択したのは、オーストラリアの西部にある
パース
という田舎街でした。
選んだ理由は単純に、日本人が少ないところにしようと思っていたからでした。
もともと自分に甘い性格だという事は自分自身で理解していたので、日本人が多く留学するような場所では絶対に英語が喋れるようにはならないだろうと感じていたのです。
これからの経験が、自分の人生を大きく変えることになるとは当時の自分は全く想像もしていませんでした。。
つづく
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。