自己紹介(アニー)
この記事は「自己紹介(アニー)」カテゴリーの記事
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2018/09/18
~~40歳まであと615日~~
オーストラリアでの夢のような1年間を過ごした後、現実と向き合う時間がやってきました。
海外に住みたいという新たな夢を抱いた自分は、とにかく日本で何かしらの結果(実績)を作らなければなりませんでした。
とにもかくにもまずは仕事探しから始めることに。
海外と繋がり、なおかつ何か変化が起きそうな仕事を中心に、都内の求人を手当たり次第探していました。
そんな中、【輸入雑貨の営業を募集します】という求人を見つけました。場所は上野。
輸入雑貨の営業職という言葉に魅力を感じた自分は、とにかく面接を受けに行くことにしました。
その面接が自分の人生を大きく変えるとは知らずに・・
その会社の面接はちょっと変わっていました。
営業職の先輩と共に、一緒に営業先に行く事が面接となるのでした。
たまたまオーストラリアへの留学経験のあった先輩は、何のブレもなくまっすぐと『俺はこの会社で社長になる事を目指して頑張ってるんだよね!』と自分に夢を話してくれました。
自分の夢を堂々と、しかもなんの迷いもなく言える先輩を見て、今までに感じたことのない感情が湧いてきました。
尊敬だったのか、羨ましい気持ちだったのか、それとも悔しい気持ちだったのか、、
自分もこの先輩のように”自分の夢を本気で追いかけたい”と思ったのでした。
そして『自分もこの会社で社長を目指したいです!』と熱意を伝え、初めて自分の意思でこうしたいと思う事を見つける事に出会う事が出来たのでした。
何とか入社が決まり、怒涛の日々が始まりました。
会社にいるほとんどの先輩たちは、新人である自分に対し自分の夢を語ってくれました。
お店を出したい人、お金持ちになって良い車に乗りたい人、海外に住みたい人など、みんなイキイキと自分の夢を話してくれました。
『アニーも自分の夢をしっかりと持ったほうが良いよ!』
先輩方からのアドバイスを胸に必死に自分の夢を考えました。
海外に住みたい、お金に困る生活をしたくない、ずっと若々しく生きていたいなど、とにかく自分がしたいと思ったことを箇条書きで書きなぐってみました。
そして悩み抜いた挙句自分が出した答えが、いまの自分の夢となったのでした。
【40歳までにリタイアして海外に移住する】
今思い出してもこれほど自分に厳しく追い込んだのは後にも先にもこの2年間だけでした。
朝早く出勤し、夜遅くまで働き、友達との連絡もせず、プライベートも捨て、何もかもを仕事一色にしていました。
ただ頑張るだけならまだしも、常に自分の精神面とも格闘する必要があり、何度となく抜け出したくなるほど努力を続けていました。
それほどまでに自分を追い込むことが出来たのは、努力をしなければ自分の夢など掴めるはずが無いと分かっていたからでした。
特別な技術もなく、何の取り柄もない自分が出来ること、それは頭の中をビジネスだけにする事が夢への最低の条件でした。
いまの自分のビジネスの根底にある基礎部分は全てこの期間に取得したものでした。
もし自分にこのような質問を頂いたとしたら、こうやって答えると思います。
知識や技術は後からでも何とかなるものです。
ただ、起業後もし厳しい状況になった時、自分を支えられるのは自分自身でしかありません。
だからこそ、本気でビジネスに向かい、そして何があってもやってやるんだという気持ちこそが大切なのだということをこの2年間で身を以て学習させて頂きました。
この2年間で、今までの甘かった自分自身の考えは全て捨てることが出来たと思います。
つづき、【第4章】経営者になることを諦めようと何度も悩んだ人生で最も苦しかった2年間
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。