自己紹介(アニー)
この記事は「自己紹介(アニー)」カテゴリーの記事
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2018/09/14
~~40歳まであと619日~~
明確な目的があった訳ではありませんが、英語が話せるようになりたいのと何か変化が起こる期待を胸に、オーストラリアへと留学したのが23歳の頃でした。
何も計画せず、バックパック1つでオーストラリアのパースという田舎町に向かいました。
当然何も分からない自分は、空港から抜け出す事すら出来ずボーッと数時間過ごした事を今でもはっきりと覚えています。。
『英語も喋れないし何をしたら良いかも分からない。。』
何も出来ない自分に、今までどれだけ楽に生きてきたのだと、まじまじと感じた瞬間でもありました。。
それでもなんとかパースの市街地まで行く事ができた自分は、ブラブラと歩きながらとあるエージェント(紹介所)に駆け込みました。
日本人とは関わらないようにしよう(英語を早く覚えるため)と思っていたので、スイス人の女性が経営するエージェントを見つけ、そこで学校と家を見つける事が出来きました。
着いてから3日後には学校へ行き始め、そこで韓国人や香港人などの友達が出来ました。
みんな同じくらいの語学力だったので、辞書を使ったりやジェスチャーなどで必死にコミュニケーションを取っていました。
友達というシチュエーションはとても効果があり、1ヶ月が過ぎた頃にはある程度の会話は出来るようになり、海外での生活も不自由もなく出来るようになっていました。
今までの人生でこれほどコミュニケーションが大変だと思ったことはなく、最初の1ヶ月間ですでに留学という経験値の凄さに気付き始めていました。
そして、当初から学校に通う事が留学の目的ではなかったので、1ヶ月半で学校を辞め、働く場所を探しにゴールドコーストという街に移動しました。
ゴールドコーストに着いてからは、家を探し、仕事を探すことからのスタートでした。
観光がメインの産業であるゴールドコーストでは、昔から興味のあったツアーガイドの仕事をしたいと考えていました。
掲示板から情報を探し、とあるツアー会社に問い合わせしました。
日本人の観光客と海外からの観光客が半々くらいだという会社で、英語力も必要な職場でした。
『英語は話せますか?』と面接時に聞かれ『話せます!』とハッタリをかまし、採用されることになりました。w
最初の頃は現地のスタッフとのコミュニケーションに手こずりましたが、なんとか半年ほどその会社で働く事が出来ました。
【やりながら覚える】
こういった事を留学という経験を通じ、体に染み込ませていったのだと思います。
職場では、オーストラリアの人たちの働く姿や考え方を身近で見る事が出来ました。
日本にいた頃は【仕事=我慢】だと思っていたのですが、現地の人たちはとにかく仕事もプライベートも楽しんでいました。
たまたまそういう人たちが周りに多かったのかもしれませんが、早く引退して船で旅をしたいという人や、50歳までしか働かないと言い、毎日人よりも働いている人もいました。
【人生は楽しむためにある】
まさにそういう人たちばかりを見てきました。
そういう人たちばかりを見ていると、いつの間にか自分の中でも変化が起き始めてきたのでした。
留学から帰国した後は、どこかの会社に就職しようと思っていたのですが、自分も人生を楽しめる選択をしたいと思うようになっていました。
『海外に住んで自由な暮らしがしてみたい・・』
そう思った事をきっかけに自分の人生のベクトルが”起業”というキーワードに引き寄せられていったのでした。
つづき、【第3章】人生で1番努力したのが起業家を目指すキッカケとなった会社での2年間。
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。