自己紹介(アニー)
この記事は「自己紹介(アニー)」カテゴリーの記事
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2018/09/12
~~40歳まであと621日~~
『平泳ぎのオリンピックの選手になる!』
自分が1番最初に思い描いた子供の頃の夢はオリンピック選手になることでした。w
当然なんの根拠も無く、ただちょっとだけ泳ぐのが好きだったという理由からそう言っていたのを覚えています。
その後はプロのサッカー選手になりたいと思ったこともありましたが、何れにしても中途半端な思いだったのは間違いありません。
ただ、子供の頃からなんとなく人とは違うことをしたいという思いは頭の片隅にあったことは記憶しています。
だから中学校の卒業文集?か何かで将来の夢を書いた時、漠然と自分はBIGになりたいと書いたことを覚えています。
夢というよりは希望に近かった感情だったのだと思います。
小学校からずっとサッカーが好きだったので、高校に進学してからもサッカーを続けました。
友達にも恵まれ、とても楽しい学校生活を部活と共に送っていました。
しかし1年生も終わりに近づく頃、遊びたい欲求と練習が厳しかったという理由から、部活を退部するという決断をしました。
それから1年ほどはバイトと遊びを満喫し、本当に楽しい高校ライフを送っていました。
ただ、心のどこかで『なんかツマラナイな・・・』と思う自分もいたのでした。
3年生の夏、部活を続けた仲間の最後の大会を観に行きました。
何回戦かで負けてしまったのでしたが、負けた友達たちは悔しくて思い切り泣いていたのを目の当たりにしました。
その涙を見た瞬間、『あれ?なんで部活を続けなかったんだろう。。』と後悔している自分がいることに気が付いたのでした。
【一生懸命に頑張った人にしか見ることの出来ない世界がある】
その時に人生で初めて感じた感覚でした。
そして、もう2度と同じような後悔をすることはしたくないとも思ったのでした。
進学校だったということもあり、自然な流れで大学受験をすることになりました。
特にやりたかったことが無かった自分は、唯一興味のあった英語関係の学部のある大学に進学したと思っていました。
学力などから考えてココしかないという学校があったのですが、残念ながら全ての学部で失敗。。
あれほどまでの挫折を味わったのは生まれて初めてだったかもしれません。
やる気もなくなり大学進学を諦めかけていた頃、父親から言われたひと言でもう一度頑張る決意をしました。
『諦めずに最後まで続けろ!』と。。
普段から無口な父親は受験中も特に何も言わ無かったので、その言葉が妙に胸に突き刺さりました。
その後何とか2次募集でとある大学に進学することが出来たのですが、最後まで諦めないことの大切さを知ったのはあの時の父親からの言葉からだったと思っています。
大学に入り遊びとバイトを繰り返す毎日を過ごしていました。
真面目な性格もあり、大学の単位は最初の2年でほとんど取ってしまいました。
残り2年のほとんどは、アルバイトという社会経験を積む時間に費やしました。
そのアルバイトでの経験を通し、同時に就職するということへの疑問も感じはじめていました。
自分が出会う全ての大人が楽しそうに仕事をしておらず、毎日のように愚痴をこぼすような人たちばかりを見ていたからでした。
『就職するということは我慢することなんだなぁ。』と、将来に対し半ば諦めに似た気持ちが湧き始めていたのでした。
そんな未来に対する現実を見てしまっていたからなのか、みんなが就職活動する中自分は一切就職したいとは思えず、1社も就活せずに卒業することになりました。
卒業後は自分が求める何かを探しに、オーストラリアへ留学することを決意したのでした。
つづき、【第2章】オーストラリアに留学し自分の知らない世界に出会う
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。