まつ毛エクステ(美容サロン)情報
この記事は「まつ毛エクステ(美容サロン)情報」カテゴリーの記事
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2017/11/17
40歳までにハワイに移住することを目指している
『アニー』こと倉持俊介です。
タイムリミットまではあと920日。。
今日はまつ毛エクステのお話です。
関係のない方はスルーして下さい。w
さて、いつものくだりですが、
私たちは埼玉県の川越市という街に、
8年ほど前にまつ毛エクステ専門店をオープンさせました。
当時は周りに競合店も少なく、
田舎街の先駆者的な存在となり、
みるみる間に成長していきました。
オープンから数年間はこのまま拡大していこうと、
店舗展開、フランチャイズ化に力を入れていました。
ただ思った以上にこのまつ毛エクステの業界は発展を続け、
専門店という枠を超え始めていました。
それが5年ほど前だったと記憶しております。
美容室などがこぞってまつ毛エクステの導入を始めたのでした。
それからは無理な店舗展開に力を入れるより、
強靭なお店作りをする方が大切であると、
思考をチェンジすることにしました。
その第一歩がスクール事業です。
そこで私たちは日本中のまつ毛エクステの団体を調べました。
そしてその中で唯一、技術と知識に全力を注いでいる団体に出会いました。
それが日本アイリスト協会(JEA)でした。
当時はまつ毛エクステに美容師免許が導入された直後だったのですが、
美容師免許だけでカバー出来ないまつ毛エクステの知識などを、
ディプロマ(検定)というカタチで教えていました。
その考え方に共感し、
自分たちももっと勉強が必要だと思うようになりました。
そして当時の店長(嫁)に何度となく勉強会などに参加してもらい、
認定講師の資格を取ってもらいました。
ここだけの話、結構大変な思いで取りました。。
なんてったって1級の合格率が30%以下という国家試験並みの難しい試験の、
さらに難しい資格を取るのだから簡単なはずはないですよね。。
ただその資格のおかげで当サロンほど、
技術や知識にたけたスタッフがいるサロンも珍しいと思います。
私の自慢のスタッフたちなんですよ。w
話はサロンに戻りますが、
店舗展開から強いサロンを目指し始めた自分たちは、
サロンとして最低レベルである、
技術と知識
に関しては他のサロン様に絶対に負けないと決めました。
案の定、5年ほど前から我が街”川越”にも
続々とまつ毛エクステサロンが進出してきました。
大手さんもあれば個人サロンさんもあります。
8年前には5店舗も無かった街に、
2017年現在、30店舗近いお店があります。
いくら需要が伸びてるとはいえ、
競争になるのは間違い無いですよね。w
ただ1つだけ自負していることがあります。
それは川越にある全てのお店の中で、
確実に当サロン(BeautyFreakグループ)
がイチバンであると!!
サロン運営に関してもどこにも負けていないという想いはありますが、
実際お客様がバラけているのも事実です。
お客様の気持ちになれば分かりますよね。
普段行く美容室でまつ毛エクステしてもらえるならその方が、、
と考える人も少なく無いと思います。
そして実際に美容室で働くまつ毛エクステの施術者のレベルも、
少しずつですが上がっているように感じます。
アイリストと呼ばれる施術者たちの考え方も、
施述ができれば良い
から
お客様を満足させられる技術や知識
に徐々に変化しているからだと思います。
ただ、専門店のように常に向上する気持ちは大切だと思います。
そこで必要なのがスクールなんです^ ^
常に向上する意識を持ち、
最新の情報をもとに安心・安全をお客様にお届けする
こういったことが求められていくと思います。
私たちが教えることに力を入れていったのは、
こうなることが分かっていたからです。
そして今スクールの需要が急激に伸びております。
まだまだ伸びるという感覚もあります。
今の現状に少しでも不安があるならご相談ください。
相談は無料ですから。ww
この記事を書いたのは「Annie(アニー)」
筆者「Annie(アニー)」について
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インセプションホールディングス株式会社の代表をしている『アニー』こと倉持俊介です。
40歳までに海外に移住するという大きな目標を自分自身に掲げ、20代の前半の頃から常に考え、行動してきました。あと数年で40歳を迎えるにあたり、今リアルに海外移住を意識し始めています。
そんな自分が意識していることや感じていることなどを伝えられたらと思い、この倉持俊介.comというブログを開設しました。
少しでも夢を持つことの大切さを感じてもらえたら良いなと思っています。
ちなみに自分のあだ名でもある『アニー』とは、3兄弟の長男という意味と、会社で年長者という兄貴的な意味から。いつまでもみんなの兄貴的な存在であり続けるためにも常に背中を意識しながら生活しています。